わたしたちは庭に向かって座り、前を見つめながら、黙って食事をとった。心地よい沈黙だった。言葉を持たない動物の中には、鳴き声そのものではなく、声を発した後、次の声を発するまでの沈黙の時間の長短で互いの意志を通じ合わせるものがあると聞いたことがある。わたしたちの間の沈黙はそれに似ていた。そういう対話の仕方もたしかにあったのである。
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「エバンズさまは、ほんとうにお花がお好きなのでござりますな」
「ええ、好きです」
「わたくしもにございます」
ワタクシモニゴザイマス。なにげない言葉だ。変化はいつも不意打ちのように訪れる。だが、変化はたとえばこんな言葉によって知らぬ間に静かに育てられているのだ。変化を育てた当人さえ気づかぬがゆえに、目覚めたとたんそれは激しい奔流となってわたしたちを押し流していく。わたくしもにございます。わたくしもじゃ。その言葉が何度繰り返されたことだろう。彼女とともに過ごした時間の最後までわたしたちの間に響いていた調べは結局その言葉だった。それはわたしが長い間誰からも聞くことがなかった言葉だった。そして、わたしが最も聞きたかったのもその言葉だったのである。同じものを同じように美しいと感じ取る。それだけのことがどれほど人を満たすことだろう。分かち合うことができれば、苦痛でさえ、ときにわれわれに生きる意味を与える。そのことを思うとき、わたしはこの言葉を、今再び深い驚きを持って胸に蘇らせるのである。ワタクシモニゴザイマス。
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誰もが夜の帳に(とばりに)ひととき身を隠し、時の流れから安全な場所に避難していた。やがて夜が明ければ、それぞれがそれぞれの場所で。海の漂い方を探さねばならない。
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人の告白は、語る当人の扉を開ける以上に、聞く側の閉ざされた何事かをこじ開ける。
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いったん気づいてしまったことを脳裏から消し去ることは不可能だ。描かれた線が見えないほど小さなものであっても、一度こころに描かれたものは二度と消すことはできない。その細い線を忘れることはできる。しかし消すことはできない。ただそれだけのことが人に永遠の苦しみを与える。
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当面の目的地がある。その連続が自分をこの世につなぎとめている。
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